2004年11月8日月曜日

月曜は疲れた。

久しぶりの会社。と、言うか一日しか休みがないのはきついな。週報をまとめ、
その他の報告書をまとめて提出。全文検索へと取り掛かった。すっかり忘れていたが
だんだん思い出してきた。まだまだフィルター用のソフトを用意しないと駄目みたい。

あああ、疲れるなぁ。。。
寝たい。

そうそう、夕飯のチキンが旨かった。皮がぱりぱり。酢と塩で下味付けしてそのまま
しばらく寝かせて置くそうだ。ハーブとにんにくと共に。おいしかった。

2004年11月6日土曜日

人事のセミナーII

いやぁ、、、疲れました。はっきり言って面白かったけど疲れた。ロールプレイを
行ったけどこれはゲーム感覚なので本当の場面ではあまりありえない。
どこまでつかえるものか。

帰ってくるときにケーキを買ってきた。早速二人の小僧がバリバリとケーキ(いや、
上に載った果物)を食べていた。ワインを飲み、清酒を一杯飲むとなんだかもう
疲れてしまい眠ってしまった。。。

2004年11月5日金曜日

人事のセミナ

朝から人事のセミナ。なかなか面白い。長いのがつらい。長い目的は何?
なぜ長くなければならないのか?不明だ。3日のコースを2日でやっているのだろうか?
それとも何か肉体的に負荷をかけないと効果が出ないという結果でもあるのだろうか?
不思議でしょうがない。

さてさて夜の19:30過ぎに帰ってきた。Chateau Fongrave を開けて飲んでいる。
旨いな。一本1000円以内な割には旨い。

夕飯はうどん。これもうまかった。温泉卵も作ってくれていたのでこれを載せて
食べた。

明日も朝からセミナがある。

2004年11月3日水曜日

商工会議所祭り

11/03 は、羽生商工会のお祭りがありました。毎年欠かさず出かけているので
一家4人で出かけました。今はどうだか忘れましたが、以前はベルギーのどこかと
姉妹都市みたいな関係だったのでベルギービールが売られていることは
以前書きました。

それと羽生市内にあるブラジル料理の店から屋台でシュハスコ(牛肉の)を
売っていたりとなかなか楽しい。この二つを楽しみたいがために出かけると
言った感じです。

勿論、イベントも行われ、フリマ(もどき)、屋台が多数出ています。
今年はイベントは女の子用のイベント(二人はプリキュア)だったので
忙しくなかった。去年は男のイベントだったので小僧が見たがるので
大忙しでした。(確か)

11時からの開催ですが、毎年近くにある小学校の駐車場がいっぱいになるので
少し早めに行きましたが、それでも最後から2台目くらい。車を置いて
会場へ行くと11時前ですがすでに店も開かれていて皆食べたり飲んだり
買い物したりと大賑わい。かみさんと小僧は連れ立ってフリマもどきの出店者の
ところへ欲しいおもちゃを探しに出かけました。

私はプッチーを連れて行きましたが、ふらふらとぜんぜん違う方へ行ってしまうので
大変でした。。

11時が過ぎ、やっとビアホールというか、ビアを楽しむ人の席ができた。と、
かみさんから連絡が入ったので無理やりプッチーを連れてそちらへ。かみさんと
小僧が購入した焼きそば、焼き鳥、フランクフルト、豚汁などがあります。

私は早速にデュベルを購入。買ってくると子供たちの飲み物がない。と、
かみさんが言うので飲み物を買いに。ついでに烏賊の姿焼きと烏賊の
さつま揚げなどを購入。

席に帰ってみるとかみさんに少しビールを飲まれてしまっていました。
ブラジル料理の屋台もオープンしたので早速にシュハスコを3本購入。

http://www.mucha-suerte.com/comida/churrasco.html

3本で500円。芋の粉を2本にはつけてもらい1本だけつけず。それを持って
席に戻り、ビールと共に。旨い!実に旨い。肉は柔らかく、にんにくや
その他のハーブなどで漬け込んだ一口大の肉を串に刺し炭火で焼いたものだ。

年に一回この日だけは好きなだけビールを飲む。

http://shuu1.milkcafe.to/camp/cook_ch_shurasuco.htm

デュベルを飲み干し、セント・セバスチャンのグラン・クリュを。
瓶ごと貰って席で飲む。瞬く間にシュハスコを3本ずつ2回買いに出かけた。
一日漬け込むらしい。漬け汁までは聞けなかったけど。

小僧はシュハスコを2本、焼きそばほぼ一人前、焼き鳥2本、フランク一本を
平らげた。後、フラッペか。かみさんは豚汁とシュハスコを。プッチーはお菓子と
焼きそばを。私はひたすらシュハスコを。最後にデュベルをもういっぱい貰って
シュハスコを更に6本購入し帰宅の途へ。勿論、運転手はかみさん。

途中でスーパーにより夕飯の買い物を。今日はシュハスコもあるので夕飯は
牡蠣と青梗菜、にんじん、しいたけなどをにんにくとアンチョビのソースで
いためた物を、と、決めて材料を購入。

帰宅したのは13:30位。そこから安楽椅子で15:30まで寝てしまいました。
いや、今年も楽しかった。

2004年8月19日木曜日

事故

大利根で打ち合わせを終わらせてから群馬へ戻ってきた。これがいけなかった。
戻ってからちょっとだけ打ち合わせをし、メイルを片付けてから家へ帰ることに。

昭和橋は大混み。橋の袂で横から入ってくる車を横目で見ながら橋へ入るとすぐに
詰まったので止まった。後ろから横で待っていた車が入ってきてそのままスピードを
落とさずに突っ込んでくるかってくるのがバックミラーで見えました。
横から見た車


やべぇーーー!と、踏ん張ってブレーキを踏みしめ、突っ張っていましたが、
思ったとおり突っ込まれました。がっつんがっつんと二度衝撃が来ました。
追突された部分 
ノンブレーキで突っ込んだんじゃないのかな。。
反対側から
ちょっと弾かれて更に前の車の後ろにぶつかりました。
飛ばされて前の車にぶつかった部分

頭はボーっとするし、動くのもだるくて仕方ないけどとりあえず110番してパトカーを
呼びました。それで携帯の充電も切れてしまったので事故の相手から携帯を借りて
第一報を家に入れておきました。しかし、頭は痛くはないもののぼやーっとしているので
念のため病院で見てもらおうと救急車を呼んでもらいました。昭和橋は大渋滞。

30分位してパトカーが来ましたがレッカーを呼べ、見たいなことを私に言うので
知るか。と、思い「そんなの頼むところはないよ」と答えると事故相手の方が呼んで
運んでもらいますから。と、言っていたのでお願いして救急車で病院へ行きました。
病院ではレントゲンを撮っただけで終了。踏ん張っていたのでどこもぶつけていないから
CTもとる必要はない(そういうことは過剰検査になるようですな。厚労省からの
決まり事項なんでしょう。)そうで。もう帰って良いかどうかもわからないので警察に
電話すると警官たちは他の現場に移動してしまったので後日お話を伺うので今日は
もう良いです。とのことで帰れました。

医者が言うには頭に何かあればだんだんと意識混濁状態になっていくので家族の人に
見ておいてもらってください。とか言うのでその通り妻に言うと怖がってしまって
今日は寝れない。と、言い出しました。まぁ、怖いよね。首を出来るだけ動かさない
ようにして寝ましたが、結構痛い。上司にも部下にも連絡はしておきました。

遅い夕食をとっていると事故の相手の方も家まで来てくれて丁寧に謝ってくれました。
後ろのスペアタイアが入っている部分
でも、痛い。。。

2004年7月18日日曜日

親父の死

夕べから意識が白濁してしまっていた親父は朝まではなんとか生き延びた。
看護士の伊藤さんという非常に若くてかわいい女性が結構献身的に世話をしてくれた。

親父はほとんど意識がないのだが、「おしっこ」だけははっきり言う。しかし、
すでにオムツをしているのでそのまま出していいのだよ。と、耳元で教えてあげる。
朝方一旦家へ帰り風呂へ入り食事をし病院へ戻った。妹を迎えに義弟が来た。

妹も一旦家へ帰り食事と風呂を。そのうち看護士たちが朝の交代の時間になり
続々と集まってきた。親父の体を拭くというので一旦部屋を出た。親父の体を入換
着替えさせてくれたが、看護士が急いで飛んでくる。親父が赤黒い顔をして呼吸も
辛そうになり見た目にも危ないことがわかる。心臓のモニターを無線で飛ばしている。

呼吸は次第に間隔が長くなり今にも止まりそう。親父が危ないので家に急いで電話をする。
そして、呼吸が止まった。

その直後に妹夫婦、妻、小僧、プッチーが到着。「親父が死んだ」と、言いぶわっと
泣く俺。皆も涙ぐんでいるところへ医者がやってきた。しばらく調べていると
「まだ亡くなっていませんよ」という。呼吸は完全に止まっているのだが、心臓は
動いているとのこと。丈夫な体だ。ちょうど親父の弟もやってきた。死に目に間に合った
わけだ。結局30分ほど心臓は動き続けその間にゆっくりとわれわれも親父に別れを
伝えた。

親父を家へ連れて帰れるように身体を清めてもらい、葬儀社を呼んでもらった。
母のときと同じ葬儀社。これから忙しくなる。母のとき以上に大変なことは
わかっていた。

とにかく7/20 通夜 7/21 葬儀 と、言うことになった。

2004年7月17日土曜日

親父が危ない。。

親父が入院してすでに12日が経過。途中から酸素マスクをしなくなった親父は
少し頭がボーっとしてきていたようだ。朝、会ったときもちょっとぼっとしていたが
まぁそこそこ受け答えができていた。

妹夫婦が親父のことで湘南からやってきた。親父が最近家に帰りたいと訴えるので
家に連れてきてもいいかと思っているが、流石に妻一人では小さい子も抱えているので
無理。なので妹に協力してもらおうというわけで来たついでに相談することにしていた。

しかし、夕方病院から連絡が。親父が意識が混濁し危ない状態だというのだ。
妹と二人でとにかく病院へ行き親父に会った。あまり返事がない。ちょっとやばい状況だ。

看護士と相談して個室へ移動した。今晩はここで過ごし状態を見て元の部屋へ戻そうと
言うわけだ。

不安な一夜の始まりだった。一旦外へ出て飲み物、雑誌、食べ物などを仕入れてきた。

しかし寝れないだろう。