2004年7月18日日曜日

親父の死

夕べから意識が白濁してしまっていた親父は朝まではなんとか生き延びた。
看護士の伊藤さんという非常に若くてかわいい女性が結構献身的に世話をしてくれた。

親父はほとんど意識がないのだが、「おしっこ」だけははっきり言う。しかし、
すでにオムツをしているのでそのまま出していいのだよ。と、耳元で教えてあげる。
朝方一旦家へ帰り風呂へ入り食事をし病院へ戻った。妹を迎えに義弟が来た。

妹も一旦家へ帰り食事と風呂を。そのうち看護士たちが朝の交代の時間になり
続々と集まってきた。親父の体を拭くというので一旦部屋を出た。親父の体を入換
着替えさせてくれたが、看護士が急いで飛んでくる。親父が赤黒い顔をして呼吸も
辛そうになり見た目にも危ないことがわかる。心臓のモニターを無線で飛ばしている。

呼吸は次第に間隔が長くなり今にも止まりそう。親父が危ないので家に急いで電話をする。
そして、呼吸が止まった。

その直後に妹夫婦、妻、小僧、プッチーが到着。「親父が死んだ」と、言いぶわっと
泣く俺。皆も涙ぐんでいるところへ医者がやってきた。しばらく調べていると
「まだ亡くなっていませんよ」という。呼吸は完全に止まっているのだが、心臓は
動いているとのこと。丈夫な体だ。ちょうど親父の弟もやってきた。死に目に間に合った
わけだ。結局30分ほど心臓は動き続けその間にゆっくりとわれわれも親父に別れを
伝えた。

親父を家へ連れて帰れるように身体を清めてもらい、葬儀社を呼んでもらった。
母のときと同じ葬儀社。これから忙しくなる。母のとき以上に大変なことは
わかっていた。

とにかく7/20 通夜 7/21 葬儀 と、言うことになった。

2004年7月17日土曜日

親父が危ない。。

親父が入院してすでに12日が経過。途中から酸素マスクをしなくなった親父は
少し頭がボーっとしてきていたようだ。朝、会ったときもちょっとぼっとしていたが
まぁそこそこ受け答えができていた。

妹夫婦が親父のことで湘南からやってきた。親父が最近家に帰りたいと訴えるので
家に連れてきてもいいかと思っているが、流石に妻一人では小さい子も抱えているので
無理。なので妹に協力してもらおうというわけで来たついでに相談することにしていた。

しかし、夕方病院から連絡が。親父が意識が混濁し危ない状態だというのだ。
妹と二人でとにかく病院へ行き親父に会った。あまり返事がない。ちょっとやばい状況だ。

看護士と相談して個室へ移動した。今晩はここで過ごし状態を見て元の部屋へ戻そうと
言うわけだ。

不安な一夜の始まりだった。一旦外へ出て飲み物、雑誌、食べ物などを仕入れてきた。

しかし寝れないだろう。